経済安全保障という言葉が、経営者の間で当たり前のように聞かれるようになりました。日本経済新聞に掲載されたセブラニ・クレビス氏のインタビュー(2025年4月)では、経済安保時代における企業統治の重要性が改めて指摘されています。
しかし、多くの中小企業経営者は「経済安保は大企業や特定産業の話」と捉えがちです。実際には、サプライチェーンのどこに自社が位置するかによって、影響の度合いは大きく変わります。本記事では、このニュースを起点に、中小企業が「経済安保時代のガバナンス」をどう設計すべきかを、実務的な視点から考察します。
「守りのガバナンス」から「攻めの設計」への転換点
セブラニ・クレビス氏は、経済安全保障が企業統治に与える影響として、「取締役会が国家安全保障に関わるリスクを認識し、経営戦略に組み込む必要がある」と述べています。これは、単なるコンプライアンス遵守ではなく、事業そのものを再設計する視点です。
多くの中小企業では、ガバナンスといえば「ルールを守ること」「違反を防ぐこと」と理解されています。しかし、経済安保の文脈では、ガバナンスは「事業継続のための戦略的設計」に変わります。例えば、特定の海外顧客との取引が突然禁止されるリスク、重要技術の流出防止、サプライチェーンの途絶などは、経営の根幹を揺るがす問題です。
ここで重要なのは、「守り」としてのガバナンスから「攻めの設計」への転換です。つまり、リスクを事前に評価し、事業の選択肢を広げるためにガバナンスを活用するという発想です。
中小企業が直面する3つの現実
第一に、取引先からの要請です。大企業が経済安保対応を強化するにつれ、そのサプライチェーンに組み込まれている中小企業にも、同様の基準が求められるようになります。例えば、特定国との取引の有無、技術管理の体制、情報セキュリティの水準などです。
第二に、資金調達への影響です。金融機関や投資家は、経済安保リスクを評価するようになっています。適切なガバナンス体制がない企業は、融資や出資の条件が不利になる可能性があります。
第三に、人材確保です。優秀な人材は、自社のデータや技術が適切に管理されている企業を選ぶ傾向があります。ガバナンスの質は、採用競争力にも直結します。
自社で実践できる「経済安保ガバナンス」の設計手順
では、具体的に何から始めればよいのでしょうか。ここでは、中小企業が無理なく実践できる3つのステップを紹介します。
ステップ1:自社の「経済安保関連リスク」を洗い出す
まず、自社の事業に関連するリスクを棚卸しします。以下のチェックリストを参考にしてください。
- 主要な取引先(顧客・仕入先)の国籍や地域はどこか
- 自社の製品やサービスに、特定国に依存する部品・原材料はあるか
- 自社が保有する技術やデータのうち、流出すると事業に重大な影響を与えるものはあるか
- 情報セキュリティの体制は整っているか(パスワード管理、アクセス権限、従業員教育など)
- 海外の規制(輸出管理、制裁対象など)の影響を受ける可能性はあるか
この作業は、経営者自身が行うことが重要です。外部の専門家に任せきりにすると、現場の実態と乖離したリスク評価になりがちです。
ステップ2:「許容できるリスク」と「許容できないリスク」を分ける
すべてのリスクをゼロにすることは不可能です。そこで、リスクを「許容できるもの」「許容できないもの」「要監視」の3つに分類します。
例えば、「特定の海外顧客との取引が突然停止するリスク」は、売上の30%以上を占める場合、許容できないと判断すべきでしょう。一方、売上の5%未満であれば、代替顧客の開拓を進めつつ、当面は許容するという判断もありえます。
この分類を経営陣で議論し、記録に残すことが、後の意思決定の質を高めます。
ステップ3:ガバナンス体制に「組み込む」
洗い出したリスクと許容水準を、既存のガバナンス体制に組み込みます。具体的には、以下のようなアクションが考えられます。
- 取締役会や経営会議の議題に「経済安保リスク」を定期的に追加する
- 内部統制の評価項目に、情報管理や取引先審査のプロセスを加える
- 重要な契約書に、経済安保条項(変更や解除の条件)を明記する
- 従業員向けのコンプライアンス研修に、経済安保の基礎知識を盛り込む
ポイントは、一度作って終わりにしないことです。経済安保をめぐる環境は日々変化するため、少なくとも年に1回は見直しの機会を設けましょう。
よくある失敗パターンとその回避策
私がこれまで支援してきた中小企業でも、経済安保対応でよくある失敗があります。代表的なものを3つ挙げます。
失敗1:経営者だけが理解している
経営者が「経済安保は重要だ」と認識しても、現場に浸透していないケースです。この場合、従業員が無意識にルール違反をしてしまうリスクが高まります。対策としては、全従業員を対象とした短時間の勉強会を実施し、具体例を交えて説明することが有効です。
失敗2:過剰反応で事業が縮小する
リスクを過度に恐れ、安全な取引だけに絞ろうとするケースです。結果として、新規事業の機会を逃したり、既存の取引先との関係が悪化したりします。対策は、前述の「許容できるリスク」を明確に定義し、経営判断の基準を共有することです。
失敗3:外部に丸投げする
「専門家に任せれば大丈夫」と考え、自社で考えることを放棄するケースです。外部の専門家はあくまで助言者であり、最終判断は経営者が行う必要があります。自社の事業特性を最も理解しているのは経営者自身だからです。
まとめ:ガバナンスを「事業の武器」に変える
セブラニ・クレビス氏の指摘を、中小企業の現場に落とし込むと、「経済安保時代の企業統治」とは、リスクを恐れて縮こまることではなく、むしろリスクを適切に評価・管理することで、事業の選択肢を広げる行為であると言えます。
ガバナンスは「守り」ではなく「設計技術」です。経済安保という新しい環境下で、自社の事業をどう設計し直すか。その問いに向き合うことが、これからの中小企業経営者に求められる姿勢ではないでしょうか。
まずは、今回紹介した3つのステップのうち、最初の「リスクの洗い出し」から始めてみてください。机の上で考えるだけでなく、現場の声を聞きながら進めることで、より実践的なガバナンス設計が可能になります。
出典:日本経済新聞「経済安保時代の企業統治を セブラニ・クレビス氏」(2025年4月)

