ITと経営 / 失敗の構造
なぜIT失敗は責任追及されないのか
2025-09-03
ITプロジェクトの失敗は、多くの企業で珍しいことではありません。計画の超過、期待の未達、現場の疲弊。同じような結果が繰り返されているのに、その失敗がはっきりと責任追及されることは、ほとんどありません。
なぜIT失敗だけが、例外のように責任を問われないのか。この記事では、それを個人の能力や姿勢ではなく、経営判断と意思決定構造の問題として整理します。
失敗しても「誰の判断か」が分からない
最大の理由は、失敗した時点で次の問いに誰も答えられないことです。誰がこの判断を下したのか。どの前提に基づいて決めたのか。何を成功と定義していたのか。
これらが書き残されていないため、失敗はいつも「想定外だった」「環境が悪かった」「技術的に難しかった」という説明に吸収されます。責任を問う以前に、責任の置き場所そのものが無いのです。
ITだけが「判断なき実行」で進んできた
経営の多くの領域では、実行の前に判断があります。投資には意思決定があり、事業撤退には決断があり、組織再編には責任者がいます。
ところがITでは、現場からの要請、技術的な必然性、既存システムの制約といった理由で、判断を経ない実行が積み重なってきました。だから失敗しても、「判断ミス」として検証されることがないのです。
委任と放棄が、責任を曖昧にした
「ITは専門家に任せるべきだ」という考え方は、責任の構造にも大きな影響を与えました。経営は専門性を理由に判断を引き取らない。専門家は経営判断の代行を期待される。現場は与えられた制約の中で対応する。
この状態では、失敗はいつも「誰かの努力不足」や「不運」として処理され、経営判断として検証されることはありません。
失敗が「構造」ではなく「出来事」として扱われる
IT失敗は、スケジュールの遅れ、コストの超過、トラブルの発生といった出来事として語られがちです。
しかし本来問うべきは構造です。なぜその前提を置いたのか。なぜ止める判断ができなかったのか。なぜ統合的に設計されなかったのか。構造に踏み込まないかぎり、責任追及は成り立ちません。
責任を問わないことが合理的だった時代
IT失敗が責任追及されなかった背景には、経営にとっての合理性もありました。技術の変化は激しく予測がつかない。失敗の因果関係は説明しにくい。責任を問えば、誰もITを引き受けなくなるおそれがある。
こうしてITは、「失敗しても仕方がない領域」として扱われるようになったのです。
その結果、何が起きたのか
責任が追及されない構造の中で、次のような現象が固定化されました。
- 同じ失敗が繰り返される。
- 判断プロセスが蓄積されない。
- 成功も失敗も再現できない。
これはIT部門やベンダーの問題ではありません。経営が判断を引き取らなかった結果です。
責任を問うとは、誰かを責めることではない
ここで強調しておきたいのは、責任追及は個人攻撃ではないということです。本来の責任追及とは、どの判断が誤っていたのか、どの前提が間違っていたのか、次に何をどう変えるべきかを明らかにすることです。それが行われないかぎり、組織は学習できません。
まとめ:まず、判断した主体を明らかにする
IT失敗を繰り返さないために必要なのは、失敗の責任を現場に押し付けることでも、管理ルールを増やすことでもありません。まずやるべきは、ITを判断した主体をはっきりさせること、そして判断と結果を結びつけて検証することです。
次稿では、経営戦略とIT戦略が並列になる瞬間を取り上げ、この責任不在の構造がどのように広がっていったのかを扱います。