ITと経営 / 情シスと体制
情シス問題の本当の責任主体
2025-12-20
情報システム部門(情シス)をめぐる議論は、たいてい現場への指摘で幕を閉じます。「スキルが足りない」「事業への理解が弱い」「守りに入りすぎている」「変革マインドが欠けている」。それなのに、問題は一向に解消されません。
本稿では、この繰り返される構造を分析します。そのうえで、情シス問題の本当の責任主体がどこにあるのかを、人や部門への批判ではなく、経営判断と組織設計の観点から明らかにします。
情シス問題は、なぜ必ず「現場の問題」になるのか
情シスについての問題提起は、「人材育成」「意識改革」「スキル向上」といった方向に収束しがちです。情シスが特別に問題を抱えているからではありません。
責任の主体を「構造」や「意思決定プロセス」に置かない限り、問題は目に見える「個人」や「現場」へと回収されてしまいます。構造を問わずに問題を語れば、説明の対象として残るのは、日々対応に追われている現場だけなのです。
情シスは「決めなかった」のではなく、「決める役割を持たなかった」
多くの場合、情シス部門は、IT投資の目的を定義する権限も、投資判断や優先順位を決める権限も与えられないまま活動してきました。この条件の下でできるのは、決められたことを事故なく安定して回す「運用」だけです。
情シスは、判断を放棄した主体ではありません。そもそも「決める」という役割と権限を、経営から与えられていなかった主体なのです。
本来、ITを「決める」べきだったのは誰か
ここで、問いを立て直す必要があります。ITを何のために使うのか。何を最適化し、どこに投資し、何を捨てるのか。部門間の優先順位をどう決めるのか。
これらはすべて、経営判断そのものです。ITがどれほど専門的であっても、その目的と戦略上の優先度を決める担い手は、経営以外には存在しません。
「任せていた」という言葉が隠しているもの
経営の側からは、「専門家に任せていた」「情シスに委ねていた」という説明がなされることがあります。しかしこの言葉には、重要な前提が欠けています。
本来の委任とは、目的を定義し、判断基準を示し、権限と責任をセットで渡すことです。目的も判断基準も権限も渡さない「任せる」は、委任ではありません。意思決定の放棄にほかなりません。
なぜ責任は経営に戻ってこなかったのか
では、問題が積み重なっても、責任が経営に回収されなかったのはなぜでしょうか。理由ははっきりしています。「ITは専門的で難しい」「直接売上を生まない」「失敗しても短期的な致命傷になりにくい」。そうした認識のもとで、ITは経営が直接向き合わなくてもよい領域として扱われ続けてきたからです。
その結果、問題が起きるたびに情シス、ベンダー、現場が責任を引き受け、経営の構造そのものは温存される、という循環が生まれました。
責任主体を誤る限り、問題は再生産される
情シス問題を「組織再編」「人材強化」「ツール刷新」といった手段で解決しようとする限り、結果は変わりません。どれも、本来の責任主体ではない場所に対症療法を施しているにすぎないからです。
責任主体を正しく「経営」に置かない限り、問題は形を変えて再発します。同じ議論が繰り返され、現場が疲弊していく循環は止まりません。
真の責任主体は、経営自身である
情シス問題の真の責任主体は、情シス部門でも、現場でも、ベンダーでもありません。ITを経営判断の主語に据えず、その判断責任から距離を置いてきた「経営自身」です。
これは断罪のための結論ではありません。責任をここに回収することこそが、本当のDX(デジタルトランスフォーメーション)やIT戦略の出発点になるということです。問題を本気で解消したいなら、経営がITに関する判断責任を自ら引き取るほかに道はありません。それ以外の改革は、すべて対症療法にとどまるでしょう。