ITと経営 / IT投資と評価

コスト削減しか評価されない構造

多くの企業で、情報システム部門(情シス)への評価は「結局、いくらコストを下げられたのか」という一言に集約されがちです。システムが安定して動くのは当たり前とされ、そのうえで語られる成果は、ライセンス費用の削減、ベンダー費用の圧縮、人件費の抑制といったコストの話ばかりです。

なぜ情シスは「コスト削減」でしか評価されなくなったのか。この記事では、それを能力や姿勢の問題としてではなく、経営判断と権限設計の構造的な問題として整理します。

投資判断を持たない組織は、コストでしか語れない

最初に押さえておきたい前提があります。投資判断の権限を持たない組織は、自らの成果を投資リターン(投資対効果)で語れない、ということです。

多くの情シス部門は、IT投資の最終決裁権を持っていません。事業投資との比較判断にも関われず、投資の目的を決める立場にもありません。この状態で情シスが成果として口にできるのは、「予定通り稼働した」「事故を起こさなかった」「想定より安く済ませた」といった、支出管理の範囲のことに限られてしまいます。

経営はITを「投資対象」として定義しなかった

この構造の根本原因は、経営層がITを「事業投資」「成長投資」「競争力投資」として明確に定義してこなかったことにあります。ITは長いあいだ、「必要だが利益を直接は生まないコスト」として扱われてきました。

そう定義されている限り、経営がITに投げかける問いは「なぜこんなにお金がかかるのか?」の一点に集中します。「この投資で何を得たいのか」という目的の問いがない以上、評価も「どれだけ(コストを)減らせたのか」に収束していくのは必然です。

ROIを出せないのではなく、出せる設計をしていない

「ITはROI(投資収益率)を測りにくい」とよく言われます。しかし実態は違います。投資目的が定義されず、何を最適化するのかも決まっておらず、成果を測る軸が最初から設計されていない。問題はそこにあります。

これではROIが出ないのは当然です。「測れないから評価しない」のではなく、「評価しない前提で設計してきた」結果なのです。こうして、唯一比べることができ、共通言語になり得た「コスト」という指標だけが残りました。

コスト評価は、行動を「守り」に固定する

評価指標は、人の行動を決めます。コスト削減が最大の評価基準である限り、情シス部門にとって合理的な行動は次のようになります。

  • 新規投資を避ける
  • 中長期的な改善を後回しにする
  • 価格交渉に注力する
  • 内製化やシステム刷新に慎重になる

これは消極的なのではありません。与えられた評価設計のなかで、最も評価される行動を最適に選んでいるだけです。この構造のまま「DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進せよ」「攻めのITを担え」と求めれば、評価設計そのものとの明らかな矛盾が生まれます。

コスト削減評価が続く限り、役割は変わらない

誤解のないように言えば、コスト管理そのものが悪いわけではありません。問題は、投資としての評価がなく、価値創出の指標も設計されず、その結果コスト削減が唯一の成果指標になっていることです。

もし経営がITを「事業の再現性を高める装置」「意思決定を拡張する基盤」「将来のコストを下げるための先行投資」として定義していれば、評価の軸はいくつもあったはずです。

変えるべきは情シスではなく、ITの定義

「コスト削減しか評価されない構造」は、情シス部門の姿勢や能力の問題ではありません。投資判断の権限を与えず、そもそもITを「投資」として扱ってこなかった経営判断の帰結です。

この評価を変えたいなら、必要なのは予算枠の微調整でも、掛け声だけのDXでも、現場への努力要請でもありません。ITを単なる「コスト」ではなく「何への投資」と見なすのか。その根本の定義を、経営層自身が引き取ることです。この一点が変わらない限り、情シスは合理的な判断の結果として「コスト削減役」であり続けるでしょう。