調達DXが変える「勘と経験」の経営判断

「あのベテラン調達担当者がいなくなったら、取引先との関係を保てない」。そんな悩みを抱える経営者は少なくないでしょう。

製造業の調達部門には、長年の経験に裏打ちされた「勘と経験」が数多くあります。しかしそれらは個人の頭の中にしかなく、属人化の温床になっています。

この課題にAIで挑んでいるのが、リーナー株式会社の大平裕介氏です。同社は製造業の調達業務をデジタル化し、暗黙知を形式知へ変える取り組みを進めています。これは「AI導入事例」の一つにとどまる話ではありません。経営者がITをどう定義すべきかという、本質的な問いを突きつけています。

暗黙知をデータにすると起きる3つの変化

属人化が解消し、業務が標準化される

調達業務でとりわけ属人化しやすいのが、「価格交渉のタイミング」と「代替調達先の選定基準」です。ベテラン担当者は、「この部品はこの時期に発注すると値引きを引き出しやすい」「このメーカーは納期遅れのリスクが高い」といった判断を、無意識のうちに下しています。

リーナーが開発するAIは、過去の取引データや交渉履歴を学習し、最適な発注タイミングや価格帯を提示します。経験の浅い担当者でも、ベテランに近い判断ができるようになるのです。

経営判断が速くなる

調達データが見えるようになると、経営者は「いま、どの部品が不足しそうか」「どの取引先との関係がリスクになっているか」をリアルタイムで把握できます。

これまでは現場からの報告を待ち、複数の資料を突き合わせて、ようやく全体像が見えていました。それがダッシュボード一つで済むようになります。経営判断の質とスピードを同時に高める、「経営IT」の理想に近い姿です。

サプライチェーン全体が最適化される

調達データがデジタル化されれば、自社だけでなく取引先の状況も見えてきます。「あのメーカーが生産調整に入った」「この原材料が高騰している」といった情報が、リアルタイムで共有されるようになります。

その結果、在庫の最適化やリスクの分散が可能になり、サプライチェーン全体の強靭化につながります。

補助金は「経営ITの設計図を描くチャンス」

こうしたデジタル化を後押しするのが、2026年度の「デジタル化・AI導入補助金」です。株式会社スカイダイニングの「ワンレジ」は、この補助金の支援事業者に採択されました。最大4分の3が補助されるため、中小企業でも導入しやすくなっています。

「ワンレジ」は飲食店向けのデジタル化支援サービスですが、その考え方は製造業の調達DXにも応用できます。大切なのは、補助金を「IT導入のきっかけ」ではなく、「経営ITの設計図を描くチャンス」ととらえることです。ツールを入れて終わりにせず、業務プロセス全体を見直し、経営判断の質を高めるための投資として使うべきです。

ITを定義するのは経営者である

リーナーの事例が示しているのは、ITは「現場の効率化ツール」ではなく、「経営判断の質を高める装置」だということです。

多くの企業が調達DXに失敗するのは、IT導入の目的を「業務効率化」に限ってしまうからです。本来の目的は、経営者がより良い判断を下せるようになることにあります。そのためには、経営者自身が「何を可視化したいのか」「どんな判断を速くしたいのか」を定義しなければなりません。IT部門やベンダーに丸投げすれば、現場の部分最適で終わり、経営全体の最適化にはつながりません。

暗黙知のデータ化が、次の競争力を決める

製造業の「勘と経験」をデータにすることは、業務効率化の話ではありません。経営判断の質を根本から変える可能性を秘めています。属人化の解消、判断スピードの向上、サプライチェーン全体の最適化。どれも企業の競争力に直結する効果です。

補助金を使った導入も現実味を帯びてきたいまこそ、経営者がITを定義し、調達DXに本気で取り組むときではないでしょうか。「ベテランが退職する前に、その知恵をデータにしておく」。それが、これからの経営者に求められる責任なのかもしれません。