「現場のバラバラ」は経営が生んだITの必然である
2026-03-12
在庫管理システムを導入したら、現場ごとに運用がバラバラになった。よく聞く話だが、これは現場の頑固さやITリテラシーの問題なのだろうか。
日経クロステックが報じた「現場ごとに運用がバラバラ、在庫管理のデジタル化の壁を乗り越えた5つの事例」は、その表面の奥にある、もっと根の深い経営課題を浮かび上がらせている。経営がITに「何をさせたいのか」を定義しないまま、手段にすぎない「デジタル化」そのものを目的として現場に投げてしまった。バラバラは、その結果である。
「統合」を求める前に、経営が手放した「設計」の責任
報じられた5つの事例は、いずれも「バラバラ」という症状を何らかの形で解決した成功談だ。だが経営者やCTOが学ぶべきは、解決の「HOW」ではない。なぜそんな状態が生まれたのかという「WHY」の構造である。
在庫管理は、モノの数を数える作業ではない。販売計画、生産計画、調達計画、さらにはキャッシュフロー計画までを貫く「情報の流れ」、いわば企業の血液循環を管理する中枢業務だ。この流れをどう設計するかは事業戦略そのものに直結する、まぎれもない経営判断である。
ところが多くの企業では、「在庫をデジタルで管理したい」という漠然とした要望だけが上から降りてくる。どのツールを選び、どう導入するかという実現手段は、現場の各部門や、場合によっては情シス部門に委ねられる。ここで致命的な「目的関数の分裂」が起きる。工場は「生産の止まりにくさ」を、倉庫は「ピッキングの速さと正確さ」を、営業は「在庫確認の即時性」を、経理は「評価の正確さ」を、それぞれ最優先する。共通の目的がないまま各現場が最適化を進めれば、システムも運用もバラバラになるのは当然の帰結だ。
「在庫情報を通じて、全社の意思決定速度を30%向上させる」といった目的を定めず、ただ「デジタル化しろ」と命じた時点で、この分裂はすでに設計されていたのである。
「AI365」と「情シス外注ガイド」が映す、解決策の市場化とその危うさ
こうした現場の混乱を解決するサービスが、市場に次々と登場している。月額15万円からAI活用を支援する「AI365」も、情シス外注先の選び方ガイドを提供するサービスも、売りにしているのは同じだ。「経営が定義できなかったITの目的」を、外部の専門家が代わりに設計し、実装するというのである。
確かに現実的な解決策に見える。しかし、ここには大きな落とし穴がある。経営判断そのものの外部委託だ。外部コンサルタントが定義した「最適な在庫管理の目的」は、自社独自の事業戦略や競争優位を反映したものだろうか。それとも、業界のベストプラクティスという名の、どこにでも通用する平均的な解だろうか。
月額18万円〜の情シス代行サービスが「失敗しない選定ガイド」を用意する背景には、経営側に「選ぶ基準」そのものが欠けているという需要がある。ガイドは「予算」「実績」「対応範囲」といった判断材料を与えてくれる。だが最も重要な基準、つまり「自社がITに何を求めるのか」という経営のビジョンは、どこにも書かれていない。ビジョンのないまま外部サービスを選べば、それは「ITの目的のアウトソーシング」にほかならない。
富士フイルムビジネスイノベーションのDXへの取り組みは、別の道を示している。同社は自らの事業変革の中で蓄積した「デジタル化のノウハウ」を製品にしている。自社の戦略に基づいてITを定義し、実践し、その「再現性の設計図」自体を価値として外に提供する。一段高い段階にある取り組みだ。
M&Aの「IT PMI」が露わにする、統合できないという負の遺産
経営がITの目的を定義しなかったツケが最も劇的に表れるのが、M&Aである。報道にある「IT PMI(Post Merger Integration)パッケージ」が支援するのは、合併後に異なるITシステムやセキュリティポリシーをいかに早く統合するかという課題だ。
だが考えてみてほしい。もしそれぞれの会社で、経営戦略に基づく一貫したITの目的関数が定義され、それに沿ってシステムが作られていたら、統合の難しさはどれほど下がるだろうか。統合は技術的な接続の問題ではない。A社の「在庫情報は生産効率を最優先する」という設計思想と、B社の「在庫情報は販売機会の損失を最小にすることを最優先する」という設計思想がぶつかる、経営思想の衝突なのである。
PMIサービスがDay 1からのワンストップ支援を必要とするのは、合意しておくべき経営思想が存在しないからだ。統合作業は、技術的な難しさ以上に、「これから我々は何を優先する会社になるのか」を合意していくプロセスそのものである。この合意がなければ、テナント統合もセキュリティの統一も、一時的な「ごちゃ混ぜ」で終わりかねない。
「現場のバラバラ」を終わらせるために経営が投げる3つの問い
では、経営者はどこから手を付ければよいのか。これから導入・刷新するITシステムに対して(在庫管理に限らない)、次の3つの問いを投げかけることから始めたい。
第一の問い:このITは、どの経営KPIにどう貢献することを目的としているか?
「業務効率化」は手段であって目的ではない。「受注から出荷までのリードタイムを縮め、販売機会の損失を年間X%減らす」といった、測定できる経営成果に結びつけることが欠かせない。この目的が、部署をまたぐ共通の言葉になる。
第二の問い:その目的を達成するために、情報はどう流れるべきか?
倉庫で在庫データが更新されたら、誰が何秒以内にそれを知る必要があるのか。その情報をもとに、営業はどんな判断を下す権限を持つのか。これは業務フローのデジタル化ではなく、意思決定のプロセスそのものの設計である。
第三の問い:その目的と設計は、将来のM&Aや事業拡大を見据えた「再現性」を持っているか?
いまの工場一つで完結する設計なのか。将来、国内外にサプライチェーンが広がっても通用する設計なのか。この問いが、IT投資をその場しのぎで終わらせるか、企業の成長基盤にするかを分ける。
「ITの定義」は経営の最高責任である
現場の運用がバラバラなのは、現場の責任ではない。「統合しろ」と上から命じる前に、統合のための設計図、すなわちITの目的を自らの手で描くことを、経営が放棄してきた責任である。
AIも外部サービスもM&A支援パッケージも、強力なツールであることは間違いない。しかしツールは、使い手の意思を増幅するだけだ。経営者に明確な意思がなければ、AIは部門ごとの都合をより効率よく実現し、外部サービスは業界平均という凡庸な解を差し出し、M&A支援は技術的につながっただけの空虚な統合をもたらすだろう。
在庫管理のデジタル化という一つの課題は、経営のあり方を映す鏡である。バラバラな現場を嘆くのではなく、その原因が経営判断の空白地帯にあると認めること。そこから、ITを「専門家に任せる技術」から「経営が設計する意思決定装置」へと定義し直す道が始まる。長く険しいが、避けては通れない道である。